この世界は愛と光
もう10年ほど前のことですが、ハワイに3週間程度滞在していた時に、現地のヒーラーさんから、初めてヒーリングというものを受けました。
ヒーラーさんは、ダイアモンドヘッドの裏側にお住まいで、そのご自宅でセッションをしてもらいました。ルーイ・ライバーン というヒーラーさんで、『光の手』のバーバラ・ブレナン氏のヒーリングスクールの卒業生。
その頃はチャクラのことも、ヒーリングのことも知りませんでしたが、自分の軸を整える(チャクラを整えていく)ワークを教えてもらい、今でも思い出した時にはやっています。
そのワークは、あるポジションをとって、そして「ことば」を唱えていくのですが、
そのことばは、「愛」と「光」でした。
そこからしばらく「愛」と「光」ということは忘れていましたが、数年前にカタカムナを学んでいくうちに、いろんなものをどんどんシンプルにしていくと、この世界は「愛」と「光」でできているのではないかと思うようになりました。
「愛」とは「ア」+「イ」の音の組み合わせで、
カタカムナで紐解いていくと、
「ア」:生命・感じる、
「イ」:伝わるモノ、陰
という思念があるので、
「愛」の思念は「感じて伝わるモノ」となります。
数霊でみていくと
「ア」は18、「イ」は5なので
18+5=23。
「愛」の数霊は23となります。
この23、カタカムナでは「シ」であり、
示し・現象・死、という思念を持っています。
他にも、数霊23のことばには「自分」もありますので、
本質的に、「愛」とは「自分」のことでもあると言えます。
辻麻里子著の『22をこえてゆけ』には、
「・・・・・・22とは地球人類に定められた限界のことです。
超時空とは限界領域を超えてゆくことです。」(Pg.99)
と書かれています。
また、
「『+1』という表現には、境界を超える、飛躍する、時空を超越するという意味にも、しばしば用いられるのだ。
以上のことを踏まえれば、(9+13)という塊と、+1に意味があり、ワガハイならこの方程式を『22を超えてゆけ』と翻訳しよう。」
とも書かれており、
この23という数字が、地球人類の集合意識を超えたモノ、と表現することができます。
23とは、数霊が示すように、「愛」や「自分」そして「死」です。
わたしが存在するから、世界が創り出されています。
世界があって、わたしが居るのではなく、
わたしがいないと、この世界はないのです。
この美しい景色も見えないし、
心地よいカシミアのセーターの心地よさも感じられません。
おいしいマカロンの味もわかりません。
でも、自分とは何だろう?と考えた時に、愛だけではないように思いました。
では、シンプルにシンプルに突き詰めて、
自分とは何か?と考えた時に、
鏡に映る自分が思い出されました。
まるっと自分を見ることは出来なくって、
自分を自分で見ようと思うと、鏡が必要です。
鏡とは、数霊3であり、光の思念を持っています。
数霊3は「ミ」となり、身です。
鏡に映し出されるのは、「自分」という「光」であり、
その光は自分自身から放たれています。
そして、「自分」は、「愛」と「光」の存在ですが、
「光」とは数霊34の「ロ」にあてはまり、
「ロ」は「空間」という思念を持っています。
空間は光のイメージであり、
光は空間のイメージ。
そして、全ての物質は光からできている、と言われています。
(頭がパープーで、やっぱり、物理学的なことは
まだまだ説明できるほど理解していません。
注:パープーって、福山弁だそうです。
頭が弱いっていう意味らしい。おもしろい)
おもしろいことに、
イメージを図に書き表したら、
読んでいた『22を超えてゆけ』に
ほんとに同じような図が書いてありました。
とは言え、わたしのイメージのベースは、
この本からなのだと思います。
わたしのと、辻麻里子さんとは、
座標が違っていますね。
黄緑と水色のインフィニティは
本を見てから書き込みました。
そして、全ては球体、とも言われるように、
「愛」とか「自分」から広がる空間は、
光でつくられており、
その光は
数霊34で、3+4=7の「調和」◯
になるんですね。
カタカムナの文字の、◯(まる)!!!
こうやって、
カタカムナは、
この世界を紐解く鍵となります。
ゲートを開くキー🔑です。
言霊といわれるように、
ことばにはチカラがあります。
ここのところ、
わたしは、他人や空間を傷つけることばばっかり使っていました。
そうすると、
驚くほど、いろんなことがうまくまわりません。
怒れば怒るほど、イライラすればイライラするほど、
調和が乱れていきます。
こんなわたしが、
こうやって書くのも可笑しいことだなぁとおもいながら、
全ての本質は「愛」と「光」ということを再確認して、
生きていきたいと思います。
もっとうまいこと伝えたいな〜と思いながら。
今日のわたしの一生懸命にありがとう。